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未完成の美(日) [思潮]

茶道においても…と言うべきか……日本の文化全般に言える事でもあるのだろうが……

どちらかと言えば…完成である事では無く、完成を目指して行く未完成を尊ぶ姿勢を感じる事がある。

これをして”未完成の美”と言う事も言えるだろうし…?

常に“高見”を目指して行く…と言う事でもあるだろう。

日本的な、この感性は、それこそ自然との中での「調和」をモチーフにした物とも言う事が言えるだろうし…

「木」や「藁」と言った、壊れるモノ…組み立て可能なモノをベースに「再生可能なモノ」を焦点においている…と言う事も背景にあるのだろう。

その意味で「完成の美」を尊ぶ西洋的な考え方とは、やや視座を異にする…と言う事もあるだろう。

このブログでは、何度か触れている話題だが「ギャラリーフェイク」の「修理と修復」…「美味しんぼ」における「良三と唐山陶人の茶碗」なども…その様な文脈で考えて行くと面白いのかもしれない。


自作の茶碗 [思潮]

茶道をやっていると心に浮かぶのが”自作の茶碗”……

自らの手ビネリの茶碗で茶を点てる…濃茶を練る…と言うのは一つの憧れであろうか?

勿論…今まで、何らの造形をやった事もないし…茶碗などを作った事も無い訳だが…

テレビや映画などで出てくる「轆轤」を使って作る訳では無い分、轆轤の技術云々では無くて、手で作って行く実感と言うのは、その分、茶碗にも愛着が湧くだろうし…造形にも想いを致す事があるだろう。

“そんな日”が来る事を待ちつつ…茶の湯の稽古に励みたいものであります。(・▽・)/

不自由の中の自由 [思潮]

茶道をして…茶の湯をして……

色々と約束事もあるだろうし…守らなければならない事も多いと言う事はあるだろう。

信長時代…秀吉時代の茶の湯は、今ほどの”縛り”も無いだろし…安土桃山時代と言う事を背景にしての豪放磊落で明るい感じでを根底に残すものでもあったのだろう…

それが…徳川時代の「幕藩体制」「秩序の維持」と言う事を重んじるにあたって…色々と変容をしてきた部分はあるのだと思う。

それが…江戸時代以降の”茶道”にも現れてくる処であろうし……

それは、一見「約束事」を表面に押し立てて…「内面における自由を確立する」と言う企みのようにも見えてくる訳である。

モノ事は「表裏一体」「不即不離」の関係にあるとは思うが…要は、その捉え方ではないだろうか?

”わび(侘び)” [思潮]

わび(侘び)の解釈は難しい……

様々な事を削ぎ落として行った後の残り…と言う解釈…と言う事が主流であるとは思われるが…

その”残り”をどのように考えるかは…それこそ千差万別なのであろう?

とあるものには“残された熱い想いを純化させる”と言う事が書いてあった。

なるほど…?

それは素晴らしい考え方の一つであろう。

その様に”わび(侘び)”を観て行くと…また新たな発見がある。
タグ:侘び わび

伝統と歴史 [思潮]

”千利休以来”と言う言葉は、一つの「キーワード」と言う風にも見る事が出来るかもしれないが…

厳密に言うなれば、”After the 千利休”と”Before the 千利休”と言う二つの時間軸(空間軸)があることにもなる。

ま…その様に2つにすっぱりと分けられるほど…単純なモノでもないのだが…

しかし…その”After the 千利休”の後の500年弱を生き抜いてきた「茶の湯」「茶道」の生命力を考えると…

色々な事を包含しつつ(それは、良いことも悪いこともだろうが)柔軟に変化をしてきたと言う事でもあろう。

その歩みを”The Japan?”と言う…敢えて「?」を伴っての表記としてみたいが……

「相場の元祖」とも言える”千利休”だからこその「柔軟な姿勢(相場で言う「買い方」「売り方」「休み方」)」について…もっと探究していく事が必要だろう。

“歴史と伝統”とはそういうモノだと…考えてみたい。

独座観念 [思潮]

「独座観念」とは……井伊直弼ゆかりのお言葉でもありますが……

たまには、独りで茶を点てて…その在り様を見よ…とでも言う事でしょうか?

確かに…「茶の湯」は、”もてなし”“相互の交流”と言う部分から…独りでするモノと言うよりは…そこに客人がおり…亭主がおり…と言う形をとることが多いのは仕方が無い部分ですが…

しかし…自分の「心映え」等も兎も角も…

「お点前」や「自分の姿」などを含めて…思いに耽るシーンはあるもの…

それを、また回想をしてみて…更に高みを目指す…と言うのも”アリ”な気はします♪

いずれにしても…独りで茶を点てつつ…独服をする…と言うのは、なかなか渋いですが(w

そう言う時には、単純に“平点前”の方が良いのか……

それとも…扱いに集中力を要する”長火箸&皆具”の方が良いのか……

ちと…悩む所ではありますね (●^o^●)☆




”修理”と「修復」 [思潮]

度々に…「ギャラリーフェイク」系のネタになって恐縮だが……

”修理”と「修復」は違うと言う。

藤田玲司曰く、「修理は可能だが、修復は出来ない」と。

語義からすれば、どちらも同じ意味になるのだろうが…「完全に元に戻すと言う意味を持つ”修復”」と「元の用を為す事を可能にする”修理”」とは違うと言う意味でもあろう。

ギャラリフェイクの直接的な話としては、「洋食器」に関しての話題であったが……

暗にその事を伺わせるような話は、「茶器」や「茶碗」に関しても出ているけらいはある。

それは、極めて「日本的な価値観」と言う事も出来るだろうが?

「不完全な中に、成長や育ち」を見つけ愛でると言う物を尊ぶ日本的なモノと

「完全性」こそに高い価値を見出す西洋的なモノ…と言う違いになるのだろう。



また……? この「修理&修復」違いの話で言うならば……例の「美味しんぼ」においても「唐山陶人」の茶碗が割れた(欠けた)際の「継ぐ&継がない」と言う事にも現れるだろう。

一回は難しい顔をしていた「唐山陶人」ではあるけれど……例によっての「山岡士朗」の”解説”によって、「器は壊れるモノ」と言う前提を思いだすと、「金つぎ」も悪くはないと言う事になっていく。

作品の構成はともかくも(w

”日本的な価値観”と言う意味では一つの大枠を示しているのではないだろうか?と思う。


茶会の会話(茶室の会話) [思潮]

茶会でも茶室でもそうだが……?

その場での会話と言うのは、非常に難しい…

まぁ…あえて言えば”簡単な様で難しい”

と言うのも…普通の会食のセオリー等に従って「宗教や政治の話しはバツ×」と言う事を貫いても良いのだが…

何分に、そもそもが「宗教」や「政治」と言う部分との相互の影響が強かった「安土桃山のお茶」であっただけに、その辺の部分を抜きにしては、実のある話しが、逆にできなかったり…と言う恨みも孕む。

とは言え…ガンガンに「宗教」や「政治」の話しをする場…と言う部分でも無いとは思うので(勿論、「経済」や「お金」と言った事も当てはまるが)

結局は、そのバランスや如何と言う事だろう……

千利休曰くの「炭は湯の沸くように」他の利休七則が、相手とのバランス感覚等を基に、如何に「亭主」と「客」とが”寛いで時間を真剣に過ごすか?”と言う命題が盛り込まれているのであるとすれば、その「会」、その「人」毎に”真摯な会話”と言うのは違ってくるのだろう………

ま、そこは「商人」でもあり「政治家」でもあり「宗教家?」でもあったと言う利休の幅広い才覚と懐の深さゆえの芸当であった事は百も承知なのだが……

後世の修行をする者としては…常に心すべき事でもあろうかな…?と思ったり……(●^o^●)

(※ 当時の共通言語が「禅語」であったと言う事も出来るだろうから…?こそ…されば、今風に解釈が許されるならば…色々な話題が出てくると言う部分でもあるでしょうかw)

米の文化 [思潮]

今回の地震で被災を受けられた地域を見て行くと……日本でも有数の「米ドコロ」である。

勿論、今までの日本も日本人も、地震を始めとして自然災害と対峙して、知恵を絞り自然を尊重しつつ

そのバランスの中での米作りと言う”叡智”を積み重ねてきている。

「お茶」「茶道」も、その土台の元に成り立っている事は言うまでもないだろう……

曰く、「美味しんぼ」でも出てくる事だが、「茶室」を、侘びた雰囲気を出そうと忠実に考えて行けば

”藁”であったり”いぶされた竹”であったり……

「米作り」と言う日本人が依拠してきた文化による所は大きいものがある。

”掃いて捨てるほど”
”猫にあげるほど”

と形容された「秋刀魚」や「イワシ」が、一躍、高級品になって行くように

「茶室」「茶道」に必要な処々のパーツも、願っても手に入れられない、或いは手にれるには、呆れかえるほど馬鹿馬鹿しい値段を払う必要も出てくる。

時代により変化をして行く事は、「文化」「文明」の、ある意味の必然でもあると思うが…

今回の米どころの被災によって、どのような影響が出てくるのか……?

今後は、その事も頭に入れつつ……見守って行きたいものではあります。



聖と俗と…… [思潮]

何やら…クリスマスの様なタイトルになってしまっているが…

お茶の「侘び」「さび」と言う事や…茶聖利休ほか諸々の事を考えて行くと…

「茶室」が一つのサロンと言う事は…ほぼ正しい認識…と言う事になるような気がする…(;一_一)

信長が存命をしていたのであれば…「サロン」と言う訳にはいかなかったような気がするが…?

そこは、後継者の秀吉の性格と言う事があって、どちらかと言えば自由闊達な「茶風」と言うものを

利休が確立できた事は大きいだろう。

要するに…利休の個性や思潮が尊重される土台であったと言う点が大きいとは思われる。

そう言う意味で「秀吉」が茶道・茶の湯の大成・成立と言う事に果たした”背景的な役割”と言う事は非常に重要なモノがあるのであり……

「秀吉」と「利休」だけが、奥義を伝える資格を持つと言う事もその辺の裏付けと言う部分にはなるのだと思うが……

彼ら二人の軸足が、同じ同心円上にあった場合には、その齟齬が破たんをしなかったが……

両者のベクトルが違う方向を向く…と言う段階になって行く事で…「茶道」「茶の湯」に別な意味でのウネリや動きが現れていったと言う事も、また一つの事実であろうか……

「茶の湯」「茶室」が持つ、ベクトルの転換をする……つまり…「黒きモノ」と「赤きモノ」が混沌とする…

と言う時空を創り出す事が…「茶の湯」のある意味の本質的な部分でもあるのだろう……と…

ちょっと…格好良い事も書いてみる? (w (〇^ー’)b

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