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本願寺顕如とお菓子の話 [菓子]

本願寺顕如と言えば……「石山合戦」を戦い抜いたと言う事もさておき……

その「石山合戦」の際に、自ら鐘楼に登り鐘を撞いて鼓舞をした…と言う逸話もある方ですが…( ..)φメモメモ

だからこそ…?と言う訳では無いですが、かの(魔王)信長を相手に11年の長きに亘る「石山合戦」を遂行出来た…と言う感じがしております。

この「石山合戦」は第一次と第二次に、都合、分類されていますが…兵糧補給に中った毛利水軍が活躍できた第一次の時とは違い、第二次になると信長配下の九鬼水軍により海上封鎖を行われた結果(所謂「鉄甲船」の使用ですな)……

本願寺勢は、兵糧の調達に苦戦をした…と言う事に繋がります。

さて、この苦境下において……本願寺顕如の考案(と言うべきか…本願寺御用の亀屋陸奥の3代目だとは思われますが…)で作られた「糧食」が、かの「味噌松風」の起こりだとか。

「米」では無く「小麦粉」に注目して、小麦粉からの麦芽糖と味噌で作った「和風カステラ」ですが…

実は、この「味噌」を巧く使うと言うのは、戦国時代では良く見られる事で……かの徳川家康しかり伊達正宗しかり…名前を何と言うかはおくとして(「兵糧丸」)…人間の活動には「味噌」が大事と言う事でもありますね。
(※ ここは、「懐石料理」とも絡んでくるところでしょう)

と言う情勢下で編み出された「味噌松風」ですが……

石山合戦の帰趨も決まり…本願寺顕如が京都に戻った折に、「わすれては波の音かとおもうなり 枕に近き庭の松風」と言う詞を詠み、それが「松風」の由来になった…との事…

(※ もう一説ありますが……本願寺では無く…「在原業平」からみになるので…)

一応の安定を見た(豊臣秀吉の全国統一)世情を観ての一句ですが……その心境や如何ばかり…か? 等と思うのは無粋と言うものでしょうか……

現在では、「懐石料理」に使われる場合もあり……
また、西本願寺御用のお菓子(「御華束」)としての役割もあり……

として、我々の舌と目を楽しませてくれています。(・▽・)/
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