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石田三成と”茶道” [お茶にまつわる話]

石田三成と言えば……

【1】:三杯の茶(三献の茶とも言う)→秀吉との出会い
【2】:大谷刑部との濃茶の飲み廻し

が有名であるが……

その他に、良く書かれる事として【利休との政治的確執】と言うものがある……

つまり、石田三成が利休と政治的に張り合ったと言うものであるが

実は、良く良く観て行くと、石田三成と利休とは、かなり微妙で密接な繋がりがある事が分かってくる

石田三成は、秀吉の側近として各地の代官・奉行を勤めているが、「堺」においても”堺奉行”を務めている

無論、この縁で、利休等とも面識は出来ていたと思うが、この堺奉行の線から生まれた縁として

「渡辺宗安」なる人物が浮かび上がってくる……

「鵙屋」「万代屋」とも言われるが、石田三成は、関ヶ原の前に自前の「唐来肩付」を預けている

預けられた宗安は、それを受け取って隠遁に入るが、後に黒田長政に見つけられ

その報告を受けた徳川家康に、最終的に献上をしている。

三成が、この唐来肩付を預ける際に

「これは、宗安殿から買い求めたモノではあるが、この度、自分は天下の大いくさに臨む事になった。」
「その際に、この中国からの名物が失われる危険もあろう。」
「ついては、これを宗安殿に預けたい」

と言う事を述べている……

そして、これを打ち明けられた宗安も

「御武運を」
「石田殿の御意志が通じたならば、その時に、またお返し致しましょう」

と返事を返している。

この、やりとりを見て、石田三成と言う人物に対して、清々しいモノさへ覚えたりする………

さて…?
この宗安なる人物……実は”利休の娘婿”と………\(◎o◎)/!

無論、親子であっても立場が違えば戦いとなるのが、「戦国の世」ではあった訳ですが…

どちらかと言えば「筋論」を持ち、「男性らしい清々しさ」を持つ”石田三成”が果たして利休を追いやるのか?
と言われると、個人的には「…………(;一_一)」と…

まあ、真実は藪の中なのですが……何となく、石田三成像は後世からの脚色と言う気がしてならない様な気がする訳です。


さて…長くなりましたが…

この「唐来肩付」に加えて、三成は「高麗茶碗」を幾つか所有をしていたそうです……

高麗茶碗って………そう、これも利休好みと言う事になりそうで……

まあ、利休好み云々は関係なく、三成の好みにフィットしただけと言う事も言えるとは思いますが。

以上…?

ちょっとした「石田三成像」を書き綴ってみましたが……

【1】:三献の茶
【2】:大谷刑部との濃茶
【3】:唐来肩付:渡辺宗安との縁
【4】:高麗茶碗

と……何気に、「お茶」とは御縁が深い「石田治部少輔殿」でありました。

(・▽・)/♪



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