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茶の湯御政道 [お茶にまつわる話]

「茶の湯」と言う事に関して言えば、どうしても「美」との関連で語られる事が多い部分は、致し方が無い訳ですが……

そもそもの、「茶の湯」の興隆の基礎を作った(加速させた)のが”織田信長”と言う事で、争いは無い事と思われる所、彼が、どのように「茶の湯」と対峙をして行こうと言うつもりであったのか?は、彼の意図する政治的なゴールが不明な部分(所謂、三職推任問題)もあるので、漠然としたモノがついて回るのは致し方が無い所ではあります。

しかし…?

彼(織田信長)の一つの功績として認めなくてはならないのは、「茶会」「茶器」等に関して、”一定の価値”を付与したと言う部分でしょう。

これをして…「何もない所に価値を創設した」等と極端な事を言うつもりはない訳ですが……

滝川一益のように、「珠光小茄子」を望んでも叶えられない……と言う、一つの効果を現出した事は、まさに、その政治的な手法としての「茶の湯御政道」を確立したと言う事になるのだろう。

勿論、「信長」が本能寺で倒れる事が無ければ、それは一つのプロトコール(儀式)としての色彩を濃くしつつ、その後に伝承をされていったのだと思われるが、それが果たされなかったのは、周知の通り。

だが、ここで考えて行くべきは…?

後押しをした信長の横死と言う重大事項が発生をしても、その後に生き続けた「茶の湯」の野太い生命力の存在ではないだろうか。

勿論…? 豊臣秀吉と言う後継者の存在も無視をする事は出来ないが……

「芸術」「美」「生き方」「死生観」……etc あらゆる方面にまで波及する”総合芸術”としての顔を併せて持つに至った…その懐の深さ……まさに「ブラックボックス」的な存在と言うモノについて、極めて「日本的な」存在が投影された姿を見る事が出来るのではないだろうか?

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