風姿花伝part2 [お茶にまつわる話]
「風姿花伝」と「お茶」と言うならば、どうしても「一座建立」と言う事に目が向きがちなのだが……
色々と「風姿花伝」を読んで行くと、所謂”有名な”「時の花」と言う事に向き合う事にもなる。
「時の花」とは、年齢に応じての「美しさ」「素晴らしさ」と言う事を含意しているものと解されているが、
それは、形を変えても「お茶」に通じる一つの原理でもあるだろう。
(10代の美しさ…20代の美しさ…等々)
「お茶」は、人の前で点てるものだが、それを「能」と同じく人前で”演じる”と言う事とも、また違う。
「以って非なるモノ」と言う部分があるとしか言えないが、「お茶」も「能」も人に満足を与えるものと言う点では共通項はあるだろう。その満足と言う部分において、「風姿花伝」は大いに参考になると。
卑俗な例えではあるが、”綺麗な女性が綺麗な着物を来て点てたお茶”に興味関心が集まるのは、モットモナ事ではあるし、まさに「華」がそこに在るだろう。
しかし、”墨染めの衣を来た、髭の伸びた御仁が点てたお茶”が、「美しく無いか」「華」が無いか?と言えば、それは、また別の違う次元になってくる。
”墨染めの衣を着た御仁のお茶”にも「華」はあると思うし、また、感じる所だろう。
「客の心になりて亭主せよ…亭主の心になりて客せよ」とは、利休の言葉であろうが、それは「一座建立」と言う事も含みつつ…その「一座建立」を基盤にした”もてなし全体”に「華」を宿すものではないだろうか?
「時の花」と言うくだりには、「その時分」「その時分」と言う事だけではなくて、そのお茶における「時分」「時分」と言う事も含むのだろうな?と……
冬の夜長に想いを致すのでありました…(・▽・)♪
色々と「風姿花伝」を読んで行くと、所謂”有名な”「時の花」と言う事に向き合う事にもなる。
「時の花」とは、年齢に応じての「美しさ」「素晴らしさ」と言う事を含意しているものと解されているが、
それは、形を変えても「お茶」に通じる一つの原理でもあるだろう。
(10代の美しさ…20代の美しさ…等々)
「お茶」は、人の前で点てるものだが、それを「能」と同じく人前で”演じる”と言う事とも、また違う。
「以って非なるモノ」と言う部分があるとしか言えないが、「お茶」も「能」も人に満足を与えるものと言う点では共通項はあるだろう。その満足と言う部分において、「風姿花伝」は大いに参考になると。
卑俗な例えではあるが、”綺麗な女性が綺麗な着物を来て点てたお茶”に興味関心が集まるのは、モットモナ事ではあるし、まさに「華」がそこに在るだろう。
しかし、”墨染めの衣を来た、髭の伸びた御仁が点てたお茶”が、「美しく無いか」「華」が無いか?と言えば、それは、また別の違う次元になってくる。
”墨染めの衣を着た御仁のお茶”にも「華」はあると思うし、また、感じる所だろう。
「客の心になりて亭主せよ…亭主の心になりて客せよ」とは、利休の言葉であろうが、それは「一座建立」と言う事も含みつつ…その「一座建立」を基盤にした”もてなし全体”に「華」を宿すものではないだろうか?
「時の花」と言うくだりには、「その時分」「その時分」と言う事だけではなくて、そのお茶における「時分」「時分」と言う事も含むのだろうな?と……
冬の夜長に想いを致すのでありました…(・▽・)♪
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